スタッフ紹介
ごあいさつ
院長 金森 浩士
近況、写真、ブログなど報告してます
氏名 | 金森 浩士 (かなもり こうじ) |
出身 | 長野県飯田市生まれ、愛知県豊橋市育ち(ちくわが名産です) |
免許 | 鍼灸師(国家資格)・東京鍼灸マッサージ協同組合会員 |
家族 | 5人家族(妻、長男20歳、次男17歳、長女10歳) |
特技 | 水泳(自由形、水球が得意) 現在も体力維持のため娘を連れて練習中。一級小型船舶操縦士免許持ってます(ペーパー船乗りです) |
経歴 | 治療家である伯母の影響を受け、鍼灸師を志し23歳で上京。当時K-1で活躍していたスポーツトレーナーが経営する葛飾区の治療院で修行を始める。
平成23年 かなもり鍼灸治療院 開業 令和4年 Canadea合同会社 設立 |
趣味 | スポーツ観戦、読書、旅(タイ・ベトナムが好きです) |
好きな言葉 | 我以外皆師(宮本武蔵) |
かなもり鍼灸治療院ができるまで
きっかけ
私がこの仕事に就くことになったのは、学生時代に水泳競技をしていたことに由来します。当時の私は膝の痛みに苦しめられていたこともあり、記録に伸び悩んでいました。整形外科で「異常なし」と診断されたため、近所の治療院に通いましたが、痛みの原因に関する説明もなく、電気を当てられるばかりでした。あの時、ケガについてしっかり説明してくれる治療院があったら。ケガの本当の原因を教えてくれる先生がいたら・・そのように考え始めたのは、燃え尽きるように水泳から遠ざかってからのことでした。一度は社会人となりましたが、治療家である叔母の影響を受けたことに後押しされ、治療の世界へ進むことを決意しました。
上京
その後23歳で上京し、当時K-1などプロ格闘技の世界で活躍していたスポーツトレーナーの治療院の門を叩き、修行と鍼灸学校という二足のわらじ生活がはじまりました。
妥協を許さない師匠のもとで、整体やスポーツマッサージ、テーピングなどを徹底的に教わりました。そしてプロのスポーツ選手のケアを通して「プロ意識」と「夢」を持つことの大切さをを教わりました。
あれから10年以上経った今でも、あの時期に経験し学んだことすべてが、現在の治療や思考の基礎となっています。
ちなみに妻は、そこの治療院と併設していたキックボクシングジムの練習生でした(今でもケンカはしないようにしています)。
転機
その後結婚し、子供を授かりました。 出産するまで、妻の体を治療でサポートし続けました。
整体や鍼灸治療で明らかに和らいだ妻への治療を通して、私はこれまで学んできた経絡やツボ、鍼や灸による刺激が、確かに作用し、変化するということを確信しました。
そして出産直前まで、足への安産の灸を施灸し続けました。健康な子が生まれるようにと願って。
その後長男は無事出産。
色々な意味で自分を成長させてくれた妻と自分の息子になってくれた子供に、「本当にありがとう」という気持ちでいっぱいでした。
そのような経験がきっかけとなり、それまで以上に多くのセミナーや研修会に参加するようになりました。運動器の症状だけでなく自律神経や不妊、安産にもアプローチできるカイロプラクティックや整体、鍼灸のセミナーに通い始めたのもこの頃でした。
さまざまな勉強をしていくなかで、すばらしい先生方とも出会い影響を受けながら、自分の治療法を確立していきました。
開業の決意
鍼灸学校での勉強も順調に進み、平成17年国合格。
卒業後は、目黒区にある人気治療院の副院長として、多くの臨床経験を積みました。
朝から晩まで予約で埋まるような日々が続くようになり、治療家として忙しい日々がつづいていましたが、
もっとじっくり患者さんと向き合いたい。
という自分の理想とする治療院への想いも芽生えてもきました。
それでも決断できないまま歳月が過ぎていきました。
経済的な理由、技術、タイミング。決断できない理由すべて、突き詰めれば「新しい世界に一歩踏み出すことへの恐怖」でした。
いまやるか、一生やらないか‥
上京してから13年住み続けた江戸川区西葛西への開業を決心したのは、2011年3月の震災直後のことでした。
治療を通して地域に貢献したい。
子供たちに仕事をしている姿を見せたい。
「帰宅難民」として治療院のベッドに横たわり、自分の無力感に打ちのめされながら考えぬいた末の決断でした。
約束
今まで多くの方々に支えられたおかげで、ようやくスタート地点に立つことができました。
開業の準備を通して知ったのは、「人は一人では何もできない」という今まで聞き流していた言葉でした。
かなもり鍼灸治療院は今までお世話になった方々への責任として、今後も治療技術を向上し続けると共に「来院して頂いた方の夢の実現をお手伝いできる治療院」を目指します。
末永くご愛顧よろしくお願いします。
かなもり鍼灸治療院 金森 浩士
(開院時の写真)